韓経:「李健熙サムスン会長は金儲けに関心ない…頭の中は『克日』と『超一流』だけだった」

  • 2020年10月27日

尹鍾竜(ユン・ジョンヨン)理事長、尹富根(ユン・ブグン)元サムスン電子副会長、陳大済(チン・デジェ)スカイレイクインベストメント会長、黄永基(ファン・ヨンギ)韓米協会会長(左から)。

「李会長は金儲けには関心のない人でした。売り上げと営業利益の話をすれば叱られました」。

李健熙(イ・ゴンヒ)会長とともにサムスングループを陣頭指揮した元サムスン最高経営責任者(CEO)の話は一貫していた。韓国の未来の収益産業を開発し「事業報国」を掲げた先代の李秉チョル(イ・ビョンチョル)会長以上に社会と国の将来に優先順位を置いていたという説明だ。

サムスン電子で12年間CEOを務めた大邱慶北科学技術院の尹鍾竜(ユン・ジョンヨン)理事長は、李会長を「革新伝導師」と回顧した。彼は李会長と関連し、「技術だけでなく社会革新に向け多様なことをした方。サムスン病院を作り、スポーツイベントを後援し、湖岩賞を制定するなど、韓国社会を先進国水準に引き上げるために努力した」と説明した。李会長がどのような希望を持っていたのかとの質問には、「革新を指向する企業家が存分に思いを広げられる大韓民国を夢見ただろう」と答えた。

サムスンのテレビ事業を世界1位に引き上げた尹富根(ユン・ブグン)元サムスン電子副会長は李会長を「大きな話題」を投げ掛けた偉人として記憶した。サムスンがテレビ事業で苦戦した2000年代初期の話をした。

「当時うまく行っていた半導体で150人を超える人材が来ました。初めはこれが本当なのかと思いました。半導体担当部署の反発を押し切って全力を挙げて取り組んだ結果が『テレビ王国サムスン』です。2006年に台数、2007年に金額で世界1位に上がってからこれまで1位を逃していません」。尹元副会長は「李会長は技術の流れを知り大きな話題を投げる人物だった。後輩経営者に『遠くを見て大きく見よ』というメッセージを残した」と話した。

サムスン電子の半導体神話の主役の1人である陳大済(チン・デジェ)スカイレイクインベストメント会長もやはり李会長を先見の明に優れた人物だと強調した。サムスンが4MBDRAMを初めて出した1988年当時を振り返り、「競合企業が下に掘り下げて半導体チップを作るトレンチ型に固執する時にサムスンだけ上に積層するスタック型を使った。当面は厳しいが拡張性が良いという李会長の決定を受け入れた結果」と説明した。その結果DRAMは4MB、16MB、256MBと発展したが、トレンチ方式を使った企業はいずれも衰退しサムスンだけ残った。

陳会長は「李会長は未来社会がどのように変わるか長く悩んだ末に意志決定を下した。後輩経営者の手本になる部分」と話した。

サムスングループ秘書室出身でサムスン証券社長などを務めた黄永基(ファン・ヨンギ)韓米協会会長は李会長を「執念の男」と記憶する。黄会長は「李会長は初めてグループを引き受けた時に『克日』、事業が安定軌道に乗ってからは『超一流』という目標に向け全力を尽くした。韓国市場の競争構図などは眼中にもなかった」と話した。続けて「世界の舞台で超一流を目標に走るならば売り上げや利益は自然についてくるというメッセージはいまも有効だ。後輩経営者も李会長のように大きな絵を描けばと望む」と付け加えた。