危機のサムスン、静かな革新(1)

  • 2014年12月23日

李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン会長が5月、急性心筋梗塞で倒れ、サムスングループは混乱した。グループの旗艦の役割をするサムスン電子の収益性はピークを過ぎて急降下した。シャオミなど中国スマートフォン企業が猛追撃する状況で、対応策を準備できなかった。無線事業部の肥大化した組織は悩みの対象となった。お互い責任を転嫁するなど組織内部に不安感が急速に広まった。李会長の長期不在で危機感はさらに強まった。

しかし次世代リーダーの李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長が、静かではあるが確実に変化を図っている。内部の反発にもかかわらずスマートフォンとテレビのモデルを大きく減らすことにした。中小企業が不満を抱く中でも、製品レベルを高めるために部品の独自生産比率を高めた。

役職員の動揺がなかったわけではないが、組織もある程度整理した。白血病の被害を補償するための交渉にも積極的に取り組んだ。危機感を抱かせるために来年の役員の年俸は凍結することにした。1993年に李健熙会長が「妻子を除いてすべて変えよう」と主張した改革DNAが「李在鎔スタイル」で具現されたという評価が出ている。

◆果敢に構造改革を断行

サムスン電子は危機を迎えるたびに体質の変化を模索し、再飛躍した。1997年の通貨危機当時も大規模な構造改革を先制的に断行し、「勝者の条件」をそろえた。会社のゴルフ会員券をすべて処分するほど強度は高かった。2008年に米国発金融危機が発生する前にも果敢に問題点を解消し、スマートフォン事業に力を集中させた。

今年もこうした危機対応力は発揮された。肥大化した組織を大きな雑音なく縮小した。蓄積された構造改革ノウハウを活用して組織改編の正当性を役職員に説得した後、転換配置などを活用し、無線事業部の人員を大幅に減らした。今月初めの人事で実績不振のIM(IT・モバイル)事業部門の申宗均(シン・ジョンギュン)社長を留任させ、組織を安定させる姿を見せながらも、部門内の社長級7人のうち4人を送り出したのが代表的な事例だ。

最近の組織改編でソフトウェアを担当するメディアソリューションセンターと全社企業間取引(B2B)業務の責任を負うグローバルB2Bセンターを解体し、関連機能を現場業務と直結する各事業部に移したのも、組織に緊張感を与えるための措置だった。

今後、問題の余地がある社会的葛藤も解決の方向も定めた。半導体ライン勤務者の白血病発病に関し、これまでサムスンを攻撃してきた白道明(ペク・ドミョン)ソウル大環境保健学科教授を調整委員として受け入れるほど積極的だ。