韓経:【コラム】中国深セン式経済開放が北朝鮮で不可能な理由

  • 2019年3月12日

記者は昨年8月に中国・深センに赴任してから現地の企業家と教授、広東省と香港一帯の外国人記者、外交官と会う機会が多かった。ここでしばしば話題になったのが北朝鮮の経済開放の可能性だ。深センを中心にした中国の改革開放が昨年40周年を迎えた中で米朝間の和解ムードが定着したおかげだ。だが中国の改革開放過程と北朝鮮の体制に対する理解が高い人であるほど悲観的な反応を示した。理由は3つ程度に要約される。

最初には金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長に集中した北朝鮮の権力構造だ。中国は1978年に本格的な改革開放を進めるのに先立ち政治構造から改革した。毛沢東のような単一指導者中心から脱却し集団指導体制を定着させた。文化革命時代に社会主義思想と少しでも外れれば極端に攻撃した造反派に対する人的清算もあった。中国政治専門家であるハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授はこうした政治改革が「過去へ回帰しないという確信を植え付け人民と幹部が積極的に経済発展に飛び込めるようにした」と評価している。広東省と福建省の役人が外国企業誘致と国内資本蓄積のため違法と脱法まで黙認したのもこうした信頼のためだ。

これに対し北朝鮮は金正恩の意向によって政策方向が揺れ動く。「指導者は完璧だ」という主体思想の首領論下で誤った判断にともなう責任は実務者がすべて負わなければならない。金正恩体制初期の貨幣改革失敗で銃殺された朴南基(パク・ナムギ)労働党財政経済部長が代表的な例だ。中国の改革開放過程で現れた官僚組織の柔軟な意志決定と素早い状況対処が不可能な理由だ。

2番目の問題は北朝鮮内部に広範囲に存在する強制収容所所だ。6カ所で最大1380平方キロメートル(汝矣島の476倍)に達する強制収容所には15万~25万人ほどが収容されているという。人権も問題だがひとまず改革開放を断行しても移動の自由を深刻に制限することになる。改革開放初期から戸口(一種の戸籍制度)が無力化され沿海地域に農民工が集まり製造業者に良い事業環境を提供した中国と比べられる。1980年代初めから中国地方政府の間で火がついた外国企業誘致競争も北朝鮮では現れにくい。

最後の理由は大韓民国の存在だ。ある中国企業家は「蒋介石が揚子江防衛線を守り南方が国民党の手中にあったならば制限的な改革開放も大変だっただろう」と話した。改革開放に出た時期、大陸を30年以上支配した中国共産党にとって台湾は競争者ではなかった。トウ小平は米国と日本を台湾と断交させ当時の蒋経国台湾総統には「独自の軍隊を持っても構わないので香港のように一国二制度を受け入れよ」と要求することさえした。だが国力の差ほど韓国に強力な求心力が作用する韓半島(朝鮮半島)で北朝鮮は改革開放過程で体制安定を守るのははるかに難しい。

もちろん制限的開放も意味がある。核廃棄が現実化されるならばそれにともなう緊張緩和効果もばかにはできない。ただし北朝鮮の経済開放は核廃棄とはまた別の障害物を超えてこそ可能だということを認識しなければならない。北朝鮮との関係改善が低成長・少子化に要約される韓国経済の構造的問題まで一気に解決するというバラ色の見通しに陥ってはならない。

ノ・ギョンモク/中国深セン特派員