韓経:【社説】三一節100周年、真の克日の新しい出発点にしよう

  • 2019年3月1日

三一節100周年をむかえた。1世紀前のきょう、亡国の境遇にありながらも大韓独立万歳は津々浦々に希望のように広く広がった。植民支配という極限的状況でも人類平等と世界平和という普遍的価値を叫んだことは素晴らしく胸が熱くなる人類史的大事件だった。自由と平等、非暴力と反覇権主義、民族自決の崇高な三・一運動の精神は我々韓国人を「近代人」として生まれ変わらせた。

三・一運動は大韓民国自主独立の祈願だけでなく人類進歩にも寄与した。韓国社会の深刻な左派右派・保守革新の摩擦と現代史に対する認識の違いから三・一運動の位置づけに対する見解の違いもあるが、100年前のその叫びは世界普遍的価値の追求だったことは言うまでもない。

100周年の三一節を迎え、今韓国を振り返る。大韓民国は完全な自主独立国で人類共栄を主導する先進国の隊列に堂々と位置しているか。固着した分断の中の未だ道のりが遠い北朝鮮の核問題だけではない。政治からして混乱と摩擦をあおり血で守ってきた自由民主主義と憲法の価値を十分に守ることができずにいる。司法府までも政治に振り回され、社会のあちこちに衝突と分裂、退行的陣営割拠主義が広がりつつある。

経済面も問題が深刻だ。「1人当り所得3万ドル(約334万円)、交易1兆ドル」。廃虚から奇蹟のように積みあげたこのような成果を自ら卑下することがひどく増えた。後発国の韓国は「政治的民主化と経済発展」という人類発展の2つの車輪を成功裏に回してきた。それなのに韓国式成長モデルの価値を貶める自己否定が今でも続いている。与野党を行き交う反企業情緒と企業家精神の失脚は度を越している。親労組、大きな政府など世界史の流れと逆走する左傾的冒険政策も溢れている。路上の偽民主主義が横行し、経済の成長エンジンが冷えているのに危機意識もない。潜在成長力が今のように損なわれれば今後100年どころか5年後、10年後も保証はできない。

過去を顧みつつ未来に進まなければならない。いつまで「反日」「親日清算」ばかり叫ぶのか。「仁村路(インチョンノ)」という道路名を変えることが克日なのか。文化革命などで中国の時計を逆回りさせた毛沢東を「功七過三」と評価し、未来を指向したトウ小平の包容を顧みる余裕が必要だ。そのような疎通が開放・改革を保証し、中国を繁栄の道へと導いた。

これからは「民族」を越えて「世界」に進まなければならない。自ら力量を育て、認識の地平を広げなければならない。あえて「日本に勝とう」と叫ぶ理由もない。韓国が大きく抜きん出れば日本や中国が自ずと韓国から学ぼうとするだろう。そのためにも「韓国は果たして理性的・合理的・科学的現代人なのか」を繰り返し自問しよう。停滞した経済だけが問題ではない。今大韓民国は危機なのか、そうではないのか、安全でしっかりした国なのか、果たして未来に進む意志があるのか。三一節100周年を記念し、繁栄の新たな100年を準備しようとするならば、このような質問に自信を持って答えることができなければならない。