韓経:韓国の40代「われわれは捨てられた世代…通貨危機では就職大乱、今回は失業・廃業事態」

  • 2018年8月22日

「会社で40代が最も多く希望退職しました。通貨危機の時は持ち堪えたが…。小学校に通う子ども3人はどう育てたらいいのでしょうか」。(イさん・46、韓国GM群山工場退職)

韓国経済を支える柱である40代がおびえている。景気低迷にともなう製造業構造調整と急激な最低賃金引き上げに触発された「雇用ショック」の直撃弾を受けているからだ。

「40代の涙」は統計でも確認されている。統計庁が17日に発表した「7月の雇用動向」を見ると、満40~49歳の40代の就業者は前年同期比14万7000人減り全年齢帯で減少傾向が最も急だった。通貨危機から20年来の最大減少幅だ。

40代は「IMF世代」と呼ばれる。大学卒業時に通貨危機が起こり相当数が就職に失敗した。一部はタイミングを逃し社会的落伍者になったりもした。ようやく職を得た人も30代で金融危機に会い再び失職の苦痛を味わわなければならなかった。20年間に2回の危機を乗り越えた40代が家族の生計の責任を負う時期にまた一度高波に出会った格好だ。雇用を失っても最低賃金負担から過去のように自営業で再起することも難しいのが40代の現住所だ。専門家らは40代の「雇用大乱」がややもすると家族解体につながることを懸念している。

韓国経済新聞は雇用労働部傘下の再就職支援機関である雇用福祉プラスセンターに登録した地域別40代失業者から各自の理由を聞いてみた。

韓国GM群山(クンサン)工場で希望退職したイさん(46)は、「整理解雇されなかっただけでも幸運」と話す。物流会社に通っていたユさん(40)は「結婚もできず働いてばかりいたのに失職した」とため息をついた。船舶塗装協力業者を辞めたキムさん(45)は再就職に向け美容技術を新たに習ったが、町内の美容室は既存の従業員も辞めさせている。巨済(コジェ)造船所で溶接の仕事をしていたチェさん(42)は帰農を悩んでいる。韓国経済新聞が地域別に雇用福祉プラスセンターで会った40代の失業者の自画像だ。

40代は経済活動が最も活発で「経済の腰」と呼ばれる。家族を養わなければならない家長でもある。こうした40代が最近「雇用ショック」の真ん中にいる。7月だけでも40代の就業者は前年同期に比べ14万人以上減った。すべての年齢帯を合わせて最悪だ。20代の時に通貨危機を迎え就職失敗を体験すると、30代になると金融危機でどうにかつかんだ職場から追い出され、40代では雇用大乱で路頭に座り込まなければならない「不幸な世代」になった。40代の間では「捨てられた世代」という自嘲混ざりの愚痴も出ている。

◇「整理解雇された非正規職に申し訳ない」

GM群山工場を辞めたイさんは5月に希望退職をした。彼は大宇自動車時代の1997年初めに入社し、同年に始まった通貨危機にも生き残り組み立てパートで勤め続けてきた。イさんは「通貨危機当時は給料が適時に支払われないほど会社が厳しかったがいまほどの危機ではなかった」と話した。

イさんは中小企業への再就職を調べているが、まだ職場を求められずにいる。彼は「妻が生計のために飲食店でのパートを始めた。飲食店では最低賃金負担から1日のうちピークタイムの3~4時間だけ人を雇っている」と話した。イさんはそれでも自分はまだ良い方だと自らを慰めた。彼は「非正規職は希望退職金ももらえずに整理解雇された。非正規職にはいまも申し訳ない気持ちだ」と言葉を濁した。

◇「40代になり再就職も厳しい」

ユさんは今年初めに働いていたソウルの物流会社から契約を解除された後、まだあちこちに願書を送っている。彼が通っていた会社は今年最低賃金引き上げと景気低迷の影響に耐えられず人員削減に乗り出した。1月から受けとっていた失業給与は4月に支給が終わった。

ユさんは20年前の1998年の大学入学後に通貨危機によって父親の失職を体験した。授業料の調達が難しく1年だけ大学に通って休学し、すぐに入隊した。除隊後に大学を中退して生活戦線に飛び込んだ。生計を維持するのに汲々とし結婚は夢見ることもできなかった。ユさんは「少し前に雇用統計と関連して『40代は厳しい』という記事を見たらそのまま私の話と同じだった。年齢はすでに40歳と再就職も大変で、これまで苦労した代価がせいぜいこんなものなのかという思い」と話した。

◇「美容技術習っても行く所が…」

専業主婦だったキムさんが造船業の塗装業者で働き始めたのは10年前、慶尚南道統営(キョンサンナムド・トンヨン)に引っ越した直後だった。当時中小造船業者が集まる統営地域では働き手が不足していた。女性も努力さえすれば働けるところはあふれていた。

キムさんは通貨危機当時に夫が通っていた会社の経営が悪化するのを見た。どうにか解雇を免れた夫を見て、「1歳でも若い時に仕事を学んで老後に備えなければならない」と決心した。雰囲気が変わったのは3年前からだ。中小造船業者が1社2社と廃業してキムさんの仕事も目立って減るようになり、結局昨年9月に職を失った。

キムさんは国費支援を受けて美容技術を習った。実際に教育を終えて就職しようとしたが、塗装業者でもらっていた賃金の半分水準でも美容室の仕事を見つけられなかった。地域景気低迷と最低賃金引き上げで美容室はむしろ既存の従業員を解雇していた。キムさんは「他の同僚のように仕事を求めて統営を離れなければならないのか悩んでいる」と話した。

◇「親について帰農するか悩み」

巨済地域の造船所で溶接の仕事をしていたチェさんは1月に職を失った。再就職に相次ぎ失敗する中で20日に失業給与も終わった。チェさんは「一部の同僚は景気が良い他の地域に移り建設現場で肉体労働などをしている」と伝えた。

チェさんの妻は生計のために今年初めから近隣の海辺でカキを採りはじめた。しかしこの夏の猛暑で働けなくなっている。チェさんは「両親が農作業をしている慶尚北道清道(チョンド)に帰農するか悩んでいる。生きていてこれほど厳しくなったのは初めて」と話した。