韓経:【コラム】日本の朝鮮女性陶工

  • 2018年4月23日

【コラム】日本の朝鮮女性陶工

「日本陶磁器の母」と称えられている女性陶工・百婆仙(ペクパソン、1560~1656)。慶尚南道金海(キョンサンナムド・キムヘ)出身の百婆仙は、丁酉災乱(慶長の乱)の時に夫と共に日本に連れて来られた後、最高の名陶磁器「有田焼」を作った主役だ。日本白磁の陶祖としてあがめられている李参平、沈当吉〔シム・ダンギル、沈壽官(シム・スグァン)一族〕と同時代に活躍した人物だが、長い間、詳細が分からないままだった。

百婆仙がスポットライトを受けるようになったのは、2016年「日本磁器誕生・有田焼創業400年」記念イベントを控えて有田の寺院「報恩寺」で塔が見つかってからだ。子孫が建立した塔には、百婆仙が96歳まで生き、優れた指導力で朝鮮陶工を導いて白磁を作ったという内容が記録されている。

初期は有田近隣の武雄市で陶磁器製作に従事していた百婆仙は、夫が亡くなると960人余りの陶工と共に有田に移り住み、自ら窯を運営した。朝鮮社会は女性の窯への出入りを禁じたが、百婆仙は陶工だった夫のおかげで技術を習得し、大規模な技術陣を導くことができた。百婆仙は朝鮮最初の女性沙器匠だった。

当時の日本で、陶磁器は非常に人気が高かった。豊臣秀吉は貧しい家の出であることを隠し、大名を効果的に統治するために茶道を活用した。高雅で格調高い朝鮮茶器を特に好んだ。大名が先を争って陶工を日本に連れて来ようとした理由もここにある。

その頃、白磁を作る技術は中国と朝鮮にしかなかった。日本人は秘法を手に入れようと絶えず様子を伺っていた。朝鮮磁器はそれだけ水準の高い「ハイテク産業」だった。朝鮮陶工の末裔が作った日本陶磁器のおかげで、中国と朝鮮から輸入する物量が80%も減ったことから、彼らの果たした役割がどれほど大きかったかうかがい知ることができる。

日本陶磁器はオランダの東インド会社を通じて欧州に輸出された。これはドイツのマイセン、フランスのリモージュ、デンマークのロイヤルコペンハーゲンなど世界的な陶磁器の基礎になった。この過程で築いた富は明治維新と日本近代化の種子となった。

日本は陶磁器の価値にいち早く気づき、海外人材を奪って技術力を高めた後、世界市場を席巻した。10世紀にすでに最高水準の陶磁器技術を持っていたにもかかわらず、商業化に失敗した韓国とは対照的だ。独歩的な象嵌青磁技術を確保した人材が5人も残っていない今の現実がただ残念でならない。

百婆仙のドラマチックな人生は、日本の芥川賞受賞作『龍秘御天歌』やさまざまなミュージカルで紹介された。2016年には有田に百婆仙ギャラリーがオープンした。故郷の金海市と文化交流も増えている。今月29日に有田で百婆仙記念像の除幕式が開かれる。400年余り前、韓国の陶磁技術で日本と世界を席巻した朝鮮の芸術魂を改めて心に刻む機会だ。

コ・ドゥヒョン/論説委員