韓経:【コラム】平昌の経済学と政治・社会学

  • 2018年1月24日

平昌(ピョンチャン)オリンピック(五輪)式典の費用は2兆8000億ウォン(約2879億4000万円)だ。中継料と企業後援支援金を全部集めても収入は2兆5000億ウォンにとどまるという。厳しい寒さを覚悟して夜間開会式をするほど、中継権の販売に力を置いても力不足だ。「企業にまた手を差し伸べる」という批判まで受けながら1兆ウォンに迫る協賛を得ても足りない。

祭りを目の前にしてお金の心配をしないだけで、平昌冬季五輪組織委員会に財政は並大抵の問題ではない。李洛淵(イ・ナクヨン)首相が全国経営者団体連合会の行事に参加して「世話になったついでに一つや二つをさらにお願いしたい。チケットを買ってほしい」と企業らに呼びかけた背景だ。赤字をどのように埋めるかが関心事だが、韓国経済の規模に3000億ウォン程度は耐えられる。コンテナボックスを宿舎で使い、黒字五輪に成功したノルウェーの山村リレハンメル事例もあるが、「外形の虚勢」が韓国の慢性病に位置付けられるのでないか心配だ。

新しい道と競技場建設費まで合わせれば平昌五輪の所要費用ははるかに増える。2014年当時、組織委員長だった金振ソン(キム・ジンソン)元江原(カンウォン)知事は9兆ウォン規模といった。その後にも費用がずっと増えて14兆ウォンに増えた。もちろん、高速鉄道が残り、「コリアブランド」価値も高まることができるため、正確な損益計算は容易ではない。「平昌五輪の経済学」では今後効率的な施設管理や観光韓国への跳躍の有無も重要な変わる要素だ。

「平昌五輪の政治学」はどうだろうか。安保外交で韓国は「平和の祭典」を十分に活用しているのだろうか。高まりつつある北核脅威の中で「戦争、核ボタン」という恐ろしい言葉まで行き来して平昌を契機に突然韓国と北朝鮮が合同チームの構成にまで合意した。南北間相互訪問も行われている。平昌が開いてくれた平和の可能性だ。問題は「平昌以降」にもこの基調が続くかという点だ。北朝鮮に核を完成させる時間の余裕を与えるだけだという懸念の声が依然として残っている。北側芸術団応援団の外見に目を奪われて実践配置される核兵器脅威を忘れてはないだろうか。北朝鮮は変わっていないのに我々だけが楽観論に陥る「北核ユーフォリア(euphoria・幸福感)」に対する懸念の声も出ている。一回の競技、メダル色に笑って泣いているうちに北核の完成が現実化する状況を警戒しなければならない。スポーツの特性のように2月の平昌は「熱い感性地帯」になるだろう。だが「平昌以降」は厳しい現実を向き合うほかはない。人類の平和祭典というが、4強国首脳の誰も来ないのが現実だ。これが韓国外交の現住所だ。

米国は韓国と北朝鮮の開会式共同入場に「北朝鮮に自由を味あわせる機会にしたい」と丁寧に論評した。本来我々は平昌祭典を北朝鮮住民に一本の光を与える契機に活用しているのだろうか。「民族」という前現代的名分を越えて開放や国際化、コスモポリタンのような未来価値にさらに近寄る機会になっているのだろうか。

「平昌五輪の社会学」も楽観的に見ることは難しい。「和合の祭典」で五輪を語る時、国際的な団結、疎通だけを意味するわけではないだろう。その精神と趣旨が韓国の中で実現しているだろうか。1988年ソウル五輪の時は「世界市民」の基礎を固めて開発途上国から抜け出す契機を作った。2002年ワールドカップ(W杯)の時は共に「大~韓民国」を叫んだ。今の韓国はどうだろうか。対立が増幅している社会に退行する兆しまで見えており、激しい陣営論理はすべてのものを吸い込むブラックホールのようになっている。合同チームの構成に対して「公正で正当なのか」という若者たちの問題提起もあっさり解決できていない課題として残っている。「平昌五輪の政治学、社会学」まで赤字になるか心配だ。