韓経:【社説】世論形成式の「李在鎔裁判」、法の下の平等は?

  • 2017年8月3日

李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長が昨日初めてサムスン贈賄容疑裁判の証言台に立った。3カ月間続いた裁判は来週初めの特検の求刑と今月末の宣告を残している。容疑の核心は、李副会長が経営権継承を請託する代わりに崔順実(チェ・スンシル)被告の娘チョン・ユラ氏への支援を決めたかどうかだ。その間、数十人の証人尋問があったが、これを立証する決定的な根拠はないというのが法曹界の大半の意見だ。「証拠があふれる」という特検の言葉とは距離がある。

この2日間の被告人尋問に出てきたサムスン側関係者らの証言を総合すると▼チョン・ユラ氏乗馬訓練支援は未来戦略室3人会議(崔志成前室長、張忠基前次長、朴商鎮前社長)で決定した▼特恵問題の可能性を懸念して李副会長には報告しなかった▼崔順実被告の「嫌がらせ」を恐れて支援した--ということだ。サムスン物産・第一毛織合併についても李副会長は「そこまでして合併しなければいけないのか」と相当な拒否感を見せたが、未来戦略室が説得して実現させたという証言もあった。サムスンも崔順実被告の詐欺の被害者ということだ。

請託が立証されなければ賄賂罪が成立しないというのは法理の基本だ。問題は裁判所が世論に振り回されず法理と証拠に立脚して独立的に判断できるかどうかだ。宣告過程はテレビで生中継される可能性が高い。最高裁からして世論を意識して中継を決めた。さらに現政権は国政課題1号(積弊清算)の細部実践課題として「国政壟断起訴事件の徹底的な公訴維持」を掲げている。李副会長の拘束が適切かどうかの審理過程のように、途方もない有無形の圧力が出てくるのは明らかだ。周辺環境が裁判所の有・無罪判断に変数になるのなら公正な裁判ということはできない。

誰であれ法の下で平等でなければならず、裁判は無罪推定の原則に立脚して進行されなければいけない。もちろん証拠が明確であるのに無罪になれば非難されて当然だ。逆に社会高位層なら証拠が不足しても強力に処罰するというのは正義でない。我々の社会はいつからか企業家は「有罪推定」、証拠に基いて無罪や執行猶予判決が下されれば「有銭無罪」、法の下の不平等だと非難を浴びせる。裁判に世論が介入すれば司法府は必要ない。