韓経:【コラム】「ソウル大学廃止論」は生きている

  • 2017年7月28日

京都大学の佐和隆光名誉教授が日本で国立大学の法人化が議論されていた当時「国立大学法人化=ソビエト化」の危険を警告したことがある。ともすると法人化国立大学の目標・計画を指示する政府評価委員会は旧ソ連国家計画委員会、大学法人は工場になるおそれがあるという比喩だった。官治から逸することが容易であるはずがない。

「我々はだまされた」。2011年にソウル大学が法人化されて以来、教授たちが言っている言葉だ。韓国教育部が毎年運用成果評価を行い、いざという時には公共機関経営評価をする企画財政部まで割り込む構えだ。法人化に期待した自律性はなく、政府介入はそのままという抗弁も続く。予算の独立性はさらに遠ざかり、監査院・国会の集中ターゲットになったという話も出ている。同感だ。

しかし、正体の分からない法人化をひたすら官冶のせいにするにはソウル大学が自問すべきことがある。これまでにソウル大学はどんな自己革新をしたのかということだ。せめて与えられた人事・財政・運営上の権限でも行使して積極的に変化を試みたのか。遺憾ながらそのような証拠も見当たらない。

法人化から6年で公務員式号俸制の代わりに導入するという成果年俸制がうやむやになったことだけでもそうだ。号俸制と定年保障という公務員の枠組みを守るならば競争力云々言いながら法人化すべき理由はなかった。ソウル大学が模範事例と見なしたシンガポール国立大(NUS)が2006年の法人化施行直後、号俸制を成果給制に、定年保障を成果連動に変えたのとは対照的だ。ここに始興(シフン)キャンパス葛藤騒動、リーダーシップを失くした総長、政治的影響から自由でない理事会などを見れば、果たして法人大学の姿なのか疑わしいほどだ。

政界では暇さえあればソウル大学と地方拠点の国立大学を括って共同選抜・運営・学位に行こうという「国立大統合論」、いわゆる「ソウル大学廃止論」を流す。ソウル大学の成楽寅(ソン・ナクイン)総長はメディアとのインタビューでこのように話した。「パリ大学を13個に分けたフランスにもグランゼコールというエリート高等教育機関がある。ソウル大学を下方平準化させてはならない」と。今の状況で成総長のこの言葉が外でどれほど共感を得るだろうか。

2004年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府で初めてソウル大学廃止論が出てきた時と今とは異なる。盧武鉉元大統領はソウル大学廃止論に反対した〔金秉準(キム・ビョンジュン)当時青瓦台(チョンワデ、大統領府)政策室長の伝言〕だが、文在寅(ムン・ジェイン)大統領もそうする保障はない。大統領選挙の公約から外れたと安心するには早い。金相坤(キム・サンゴン)副首相兼教育部長官の就任の辞はこの政府が「序列化」「競争」「不平等」を同じ仲間と認識していることを見せている。学費半額、ブラインド面接、国立大学統合論などの流れが結局「大学平準化」に合流するというシグナルだ。

地方自治団体長選挙が近づいている。地方分権・国家均衡の発展を完成しようという声があがり、それで選挙地形や世論上有利だと判断すれば政界が選ぶカードは明らかだ。国政の課題において火種を生かしておいた「地方自治体連係強化による拠点国立大集中育成」が「国立大統合論」に燃え上がる可能性がある。

外ではどこでもデジタル転換がどうだ、教育革命がどうだという話ばかりだ。差別化、多様化など生存する道を模索する大学革新が輝かしい。韓国だけが別の道を進んでいる。第4次産業革命、学齢人口の減少より直ちに序列化をなくせという政治攻勢の方を心配しなくてはならない状況だ。

このまま行けば政府はソウル大学に2つの選択肢を出すかも知れない。法人化を維持して統合国立大学とは別に行くか、さもなくば法人化を廃止して統合国立大に合流するか。前者は官冶の苛酷さの中で一人立ちをしてみろという脅迫だし、後者は大学平準化のプラットホームになってほしいという要求だろう。ソウル大学はどちらを選ぶだろうか。どのみち避けられない戦いならば既得権にこだわっている場合ではない。今からでも大学改革が何なのかを見せる自己革新の引き金を引くべきではないか。

アン・ヒョンシル/論説・専門委員・経営科学博士