韓経:【コラム】全国民が「庶民」になっていく国、韓国

  • 2017年6月9日

負債なし、30坪以上のマンション、月収500万ウォン(約50万円)以上、中型車以上、預金1億ウォン以上、海外旅行年1回以上、ゴルフ月1回以上…。韓国人が考える心理的中産層の姿だ。実際、この程度なら所得上位10%に該当するだろう。このうち一つや二つでも当てはまらなければ自身を中産層ではないと感じるのが普通だ。

そのためか。実際、現実と認識の間には隔たりが大きい。統計庁の所得階層別分布は昨年▼上位(中位所得の150%以上)19.6%▼中位(50-150%)65.7%▼下位(50%未満)14.7%--だった。一方、主観的アンケート調査(2015年)では上流層2.4%、中産層53.0%、下流層44.6%だった。主観的上流・中産層は減り、下流層が増える。しかし中位所得階層は60%台と、特に変化はない。事実が真実でなく、認識が真実になったということだ。

中産層所属感が低下した人たちは自らを「庶民」に帰属させる。国民の86%が「私は庶民」と答えた保健社会研究院のアンケート調査結果もある。普通の人だけでなく、誰か見ても裕福な人さえも「私たちのような庶民…」という言葉を頻繁に使いながら暮らす。比較対象がいつも「自分より裕福な人」であるからだ。億ウォン台の年俸者の間でも貧富の差を感じるという。年俸1億ウォンは2億ウォンがうらやましく、東南アジア旅行者は米国・欧州旅行者がうらやましい。SNSに満たされた他人の誇張された幸福は相対的剥奪感をあおる。

目ざとい政界はこうした点を利用して得票最大化を図る。世の中を強者と弱者に分け、弱者のロビンフッドを自任するやり方だ。歴代の政権で「親庶民」を前に出さなかったケースがない理由だ。左右の区分もない。庶民物価、庶民住宅、庶民金融、庶民通信費、庶民債務軽減…。福祉は拡大して「下位70%」という奇怪な基準までも生み出した。

しかしどの政権でも庶民が幸せになったという言葉は聞こえなかった。あれほど庶民のためと言いながらも、むしろ物価は上昇し、住居費用は増え、就職は難しく、生活がきついのは昔も今も同じだ。庶民のためだという政府であるほど逆に庶民の生活は厳しくなった。実体も不明な庶民を対象に空に散弾銃を撃つように政策を展開した結果だ。「政治が私の生活を変える」というスローガンはそのためにいつもむなしく聞こえる。

もともと庶民は姓もなく地位もない人を意味する過去の王朝時代の言葉だ。士農工商、官尊民卑に、身分が世襲された無学の民を意味した。最近「私は庶民」という認識が広まったのも、階層移動のはしごが消えたという自暴自棄の一断面でもある。

こうした環境では国家依存症は雪だるま式に膨らむ。自由主義の代わりに政府介入主義が勢力を伸ばすことになった根本原因もここに見いだすことができる。「ゆりかごから墓まで」国の責任と考えるのだ。無償は富裕層も好む。信じがたいが、自分の子どもが勉強できないのも「国のせい」という人たちを実際に目撃した。

結局、答えは経済・社会の活力を回復させることしかない。長期低成長がもたらした集団無気力症が国家依存症を培養する温床になった。アダム・スミスは労働者の幸福感は賃金の絶対水準でなく、賃金が停滞したか上昇傾向かに影響されると明らかにした。今日より明日が良くなるという期待があれば「自覚中産層」は自ずと増えるだろう。1980-90年代初めの高成長期に国民の中産層認識は80%に達したこともある。

政治が意味もあいまいな庶民という情緒的用語を乱発するほど、より良い生活を切り開こうとする個々人の価値は毀損される。国民の幸せもむやみに約束するべきではない。「自分の人生は自分が責任を負い、自分の子どもは自分が面倒をみる」というある村老の一喝を改めて思い出す。

オ・ヒョンギュ/論説委員