韓経:【社説】THAAD配備を歓迎する、安保にただはない

  • 2017年3月9日

必要以上の長い論争に非生産的な非難までも招いたTHAAD問題がようやく結末に近づいた。韓米軍当局は数日前、米本土から発射台2台を電撃的に空輸した。予想外の迅速な判断だった。両国首脳は緊急電話会談で北朝鮮の挑発に最高水準の警告も送った。

THAAD問題をめぐり中国が依然として報復を続け、韓国の一部の親中左派もこれに同調しているが、これはとんでもないことだ。THAADは国と民族、すなわち自由大韓民国を防御する、現在としては唯一の対策だ。繰り返される核実験とミサイル発射で実戦配備が目の前に迫った北朝鮮の核に対する最小限の自衛的安全装置にすぎない。危険な金正恩(キム・ジョンウン)集団の核挑発を防ぐ手段や方策があるのか、中国も国内の反対派も代案があるのなら話すべきだ。

「THAAD葛藤」は避けられない、そして葛藤で偽装された必要な論争かもしれない。国家の安保と恒久的な平和の道が何かを悟らせているという点で逆説的にそうだ。この時点で我々は国家安保がどのように担保されるのかを繰り返し真摯に省みる必要がある。安保にただはないという事実はその出発だ。THAADに対する内部の反対が依然として少なくないこの時に投げかけるべき、国家存亡に関する本質的な問いだ。

国家安保に対するこの省察は結局、「奴隷の道」か「自由人の道」かという問いであり、「奴隷の屈従」か「自由人の平和」かを選択する問題だ。長い歳月の間、我々は中国大陸の覇権の動きによって多くの受難と苦痛の歴史を経験しなければならなかった。近くを見ても麗末鮮初に元にほぼ付属するような形になり、朝鮮では明・清の影響圏で呼吸もできなかった。旧韓末、清が衰退の道に入ると、今度は海洋勢力の日本帝国の銃刀に振り回された。四色党争、士農工商、官尊民卑の無能で腐敗した屈従の歴史から我々は何を学ぶべきなのか。自国の領土も守れなかったその虚弱な名分至上主義を国家間の無限競争のこの時代にまた繰り返そうするのか。

残念ながら、いや恐ろしくも、その黒歴史が繰り返される兆しまで見える。北朝鮮の核という可視的な巨大脅威を見ながらも無条件にTHAAD反対という部類がそうだ。いわゆる反韓米同盟の左派グループも国家安保だけは本質と実体を見つめる必要がある。最小限の自衛的防御能力もなく国家が持続し、自由な独立国を築くことができるのか。

虚しい言葉の聖餐、虚弱な文民絶対優位の空論社会ではいけない。国家の安危をかけて言葉遊びばかりしていられない。THAAD葛藤の本質もここに通じる。いわゆる市民・社会団体も同じだ。軍当局と安保・外交専門家が数年間にわたる熟考の末に出した国家的判断を政略的観点で揺るがせば、今後、我々はどのような決定ができ、国家と政府の名で何ができるのか。

糾弾スローガンと警告メッセージはむしろ北朝鮮に向かわなければいけない。韓半島(朝鮮半島)から核兵器を除去する道も実際、我々の努力だけでは足りないかもしれない。さらに中国も問題だ。中国は韓半島全域をターゲットとする中距離ミサイル体系をすでに2015年の天安門軍事パレードで展開している。北朝鮮も問題だが、中国のミサイルに対しても我々の防御能力は絶対的に必要だ。

トランプ政権の動きが尋常でない。北朝鮮に対する批判と警告の水準がしだいに強まっている。北朝鮮と取引した中国の通信装備企業ZTEに科した11億9200万ドルの罰金は過去最大規模であり衝撃的だ。北朝鮮と関係がある第3国の機関と個人までを制裁するいわゆるセカンダリーボイコットが本格化する雰囲気だ。核関連施設に対する「精密打撃(sugical strike)」主張がワシントンで次々と出ているため、今回の措置は普通でない。金正恩体制に対する「最終的解決法」をもうテーブルに載せるべき時だという声もある。

さらに重要なのは我々の内部だ。長い受難の歴史を忘却したままでは大韓民国もない。安保に関しては確固たる韓米同盟関係がその礎石であることは言うまでもない。そうでなくても日本とも関係が良くない状況だ。日本は大使を2カ月間も帰任させていない。THAAD配備後の運用戦略までも樹立し、軍当局もわずかな動揺もなく進めるべきだが、より重要なのは国民の安保意識だ。国民の戦う覚悟がなければ決して平和を守ることはできない。安保にただはない。そうでなければ奴隷の道だけだ。