韓経:【コラム】家庭を破壊する福祉国家=韓国(2)

  • 2016年9月14日

国家が家庭に代わるのはすべての設計的思考の共通した結論だ。福祉国家理論もある程度は似たような結論で私たちを追い込む。「白紙にはどんなしみもないので、その上に最も美しい絵を描くことができる」と話した人は毛沢東だった。革命的な人間はそのようにして作られる。「赤ん坊だけが純潔だ」というのはクメール・ルージュのスローガンだった。恐ろしい引用句ではあるが、多くの人々の隠れた傾向性を表わす言葉でもある。このために子供たちは狭い家庭ではない国家の大きな幼稚園で育たなければならないということだ。保育予算をめぐってこのように激しい論争が広がること、そして職場に出て行った親に代わって子供の保育を国家が責任を負うべきだという要求が降り注ぐのを見ながらヒトラーや毛沢東、クメール・ルージュにつながるプラトンの派閥をちらりと考えることになる。

子供たちと同じように高齢者たちも家庭から分離あるいは隔離されている。高齢者たちは「死の医療化」の中で死を迎える。この頃は家で最後を迎える高齢者はほとんどいない。死は自然の過程ではなく病院の業務にすぎないのだ。老後の人生もやはり療養施設の業務に変わって久しい。家庭という垣根の中で完結していた幼年と老後の生活の大部分が社会化されている。驚くべきことに福祉国家はこのような変化を加速化させる。単身世帯が大きく増えて520万人(世帯)に達したというが、こまやかな福祉制度は単身世帯を比較的耐えられる巣にしている。高齢者の中には福祉手当を受けるために家庭を分割する例も多いだろう。福祉国家の元祖スウェーデンは単身世帯が全世帯の47%だ。国家のこまやかな世話は単身世帯を不便がないようにしてくれる。単身世帯にさまざまな形のシングル家庭まで考慮すれば伝統の家族制度はすでに崩れたというのが真の姿だ。

単身世帯の増加を家庭の破壊であり、したがって不幸の条件だと言うことはできないだろう。家庭こそが因襲の場所であり、抑圧のくびきであり、耐え難い悪縁の地獄でもある。しかし依然として片足を旧時代に突っ込んでいる私たちとしては、崩壊する家庭や解体される家族について一度ぐらいは真剣に考えることになる。家庭の社会化が招く未来の姿のことだ。秋夕(チュソク、韓国のお盆)が目の前なので…。

チョン・ギュジェ主筆