韓経:「日本・米国のように半導体装備? 材料分野の競争力を備えるべき」=韓国

  • 2016年7月13日

産業研究院のチュ・デヨン研究委員

先月29日、世宗市国策研究団地内の産業研究院。韓国半導体産業政策の父と呼ばれるチュ・デヨン産業研究院研究委員(60)の定年退職式が開かれた。チュ氏は1982年に慶北大を卒業して産業研究院に入社して以来、34年間にわたり半導体とディスプレーという「一つの井戸」を掘り続けた。国策研究所の研究員に多い「博士学位」もなかったが、博識と経験から国内最高の半導体産業専門家と評価された。

12日に産業研究院で会ったチュ氏は「運がよかった」とし「交代する半導体担当公務員が私をずっと必要としてくれて、今まで半導体産業の専門家として残ることができた」と話した。

チュ氏が産業研究院に入社した1982年は韓国国内に半導体産業研究者が一人もいなかった。チュ氏は「当時はまだ半導体産業という概念自体がなかった」とし「半導体産業の情報不足に苦しむ政府と業界のために、外国の新聞や雑誌などを片っ端から調べて報告書を書いたりした」と回想した。

チュ氏は1980年代後半の半導体共同研究開発(R&D)、1990年代後半の半導体構造改革と「ビッグディール」など、韓国半導体産業の運命を分けた大きな政策にすべてに関与した。チュ氏は「1980年代半ば、韓国半導体業界が海外で技術侵害で繰り返し提訴される中、政府は民間だけに任せれば対処が難しいと判断し、サムスン、現代、金星(クムソン)の3社共同R&D事業を推進した」とし「日本の業界が共同開発に動き出した先行事例を研究するなど政策の立案に関与した」と述べた。

当時、政界では数百億ウォンの予算がかかる半導体共同R&Dへの反対が少なくなかった。チュ氏は「造船業が輸出で頭角を現した時期であり、成功が不確かな半導体よりも造船に投資すべきだという声が少なくなかった」とし「コンピューターが大衆化すれば半導体の需要が急増すると予想されるので今投資すべきだという論理で、商工部の公務員とともに国会議員室や予算処を訪ねて説得した」と説明した。

チュ氏は韓国半導体業界が大規模な投資で日本を追い抜く契機になった1986年の日米半導体協定への対応過程でも「隠れた助力者」だった。チュ氏は「日本による半導体市場蚕食が激しくなると、米国が日本に生産コストの公開や投資承認制を要求した」とし「入手した協定文を数日間にわたり徹夜しながら少しずつ翻訳し、政府と業界に送ったことを今でもはっきりと記憶している」と語った。

1999年に政府の主導で行われた現代とLGの「半導体ビッグディール」過程にもチュ氏は深く関与した。チュ氏は「当時、青瓦台(チョンワデ、大統領府)を出入りして半導体産業再編の論理や背景を説明した」とし「吸収合併の対象となったLG側の反発が激しく、困難な状況も数多く経験した」と振り返った。

韓国半導体産業の成長史を眺めてきたチュ氏は「半導体産業の主導権は米国から日本へ、日本から韓国へと西に進んできた」とし「今は中国に移る過渡期的な段階」と説明した。チュ氏は「米国と日本は装備と材料の強みを基礎に依然として影響力を行使しているが、韓国は独自の競争力を備えた分野がないので深く心配している」とも語った。今後の計画についてチュ氏は「しばらくは産業研究院で契約職として仕事を続け、『韓国半導体産業政策史』などを執筆する考え」と語った。