【コラム】競争は消費者の要求だ=韓国

  • 2015年12月11日

最近、大型スーパーの営業規制は正当だという最高裁の判決があった。最高審議の判断であるだけに尊重するべきだが、反競争的だという異見を提起せざるをえない。ただこれだけではない。あれこれと大義名分のもとで特定集団の利益を保護しようとする方法はほとんどそうだ。

ところが重要な事実は、私たちは日々変化する世の中で希少な資源使用をめぐって現在の位置を維持したり、より良い位置に移ったりするための競争に直面しながら生きているということだ。競争を避けられる人は誰もいない。

競争というのは取引相手にとって、より良い機会を提供することでほかの参加者に勝とうとする対抗的な行為だ。企業間競争は、消費者に価格と品質の面でより良い機会を提供することによって他企業に勝とうとする行為であり、競争で勝つためには他人よりも効率的に資源を活用しなければならない。したがって競争は資源配分の効率性を高めて経済成長を牽引し人々の物質的な生活を改善する。

よく大企業が先進技術と優秀な資本力ですでに確固たる地位を占めているので事実上、自由競争というものはないという主張が説得力を得たりもする。もちろん不利な条件に処した人が、より良い条件から出発した人に競争で勝つことは難しい。しかし競争は、他人をそのまま模倣することによって繁盛できるという事実を意味しない。従来の事業方式とは違う、より良い品質の商品をより安い価格で供給することによって既存事業者を凌駕できてこそ消費者の承認を受けて競争に勝つことができる。

見逃してはいけない重要な事は、既存企業の生存や繁盛と新しい企業の参入の有無を最終的に決める消費者は、企業家の出発点がどこなのかについては何の関心もないということだ。機会の平等などには何の関心もない。すなわち消費者は、商品を供給する企業家が持つ背景には全く関心がなく、ただ企業家が自分たちの利益にどれくらいよく奉仕してくれるかということだけに関心を傾けるということだ。そうした点で自分たちの利益のために競争を要求する一般消費者としての大衆と、その結果としてあらわれる現象を公正と不公正、正義と不正義で判断する主体としての消費者は二重的だ。

産業構造の変化や企業内の構造調整も全て消費者の要求に従ったものだ。生産ラインを新しく設置・廃棄して労働者を解雇したり再配置したりするのは、現場で企業を指揮する企業家の意志決定によったわけだが、これは企業家が消費者の命令を受けて施行しただけのことだ。昨日は特定企業が生産した物に好感を持っていた消費者が今日はとても残酷に冷遇するので、生存に脅威を感じた企業家がやむをえず構造調整をするのだ。それで企業の労働者解雇をはじめとする構造調整をめぐって企業家が残忍だと言うが、本当に残忍なのは粥が煮えるように変化の激しい消費者たちだ。

競争はボクシングやマラソンのように優勝者を選んでメダルをあたえるメカニズムではなく、諸般の経済条件のもとで消費者の欲求を最大限満足させる安全装置であり保護手段だ。すなわち競争とは1人で生きていけない人間の世の中で自身の境遇を改善しようとする私たち誰もが避けられない、お互いのために協同する方式だ。北朝鮮のように市場競争のない社会主義社会には市場競争という装置や手段がなく、ひたすら絶対権力者の意を敬う忠誠競争だけがあるため、人々の暮らしが改善されず、疲れ果てているのだ。

効率的な資源配分を邪魔して消費者の福祉を害する競争制限的な要素は自由市場から生まれたものではなく、政府や国会の人為的な措置によったものだ。特定の目的のもとで競争を制限する法的措置は、資源配分の効率性を邪魔するだけでなく長期的に法が保護しようとする集団の利益も保護できないケースが大部分だ。自由競争に対する認識を新しくして、これを促進することだけが私たち皆の暮らしを改善する道だ。

キム・ヨンヨン全南(チョンナム)大学教授(経済学)