世界遺産になった百済歴史遺跡8カ所、グローバル観光地として注目

  • 2015年7月6日

世界文化遺産に登録された忠清南道(チュンチョンナムド)公州(コンジュ)の公山城(コンサンソン)。

忠清南道(チュンチョンナムド)の公州(コンジュ)・扶余(プヨ)、全羅北道益山(チョンラブクド・イクサン)の百済歴史遺跡区が、ユネスコの世界文化遺産に登録された。ユネスコ世界遺産委員会(WHC)は4日(現地時間)ドイツのボンで開かれた第39回会議で、百済歴史遺跡区を世界遺産の中の文化遺産(cultural heritage)に登録した。百済歴史遺跡区が韓国の12番目の世界遺産として登録されながら高句麗・新羅に比べあまり注目されてこなかった百済史に対する関心が高まっており、新たな観光資源として脚光を浴びる期待がふくらんでいる。

今回登録された百済歴史遺跡区は、公州の公山城(コンサンソン)・松山里(ソンサンニ)古墳群、扶余の官北里(クァンブクリ)遺跡および扶蘇(プソ)山城・陵山里(ヌンサンリ)古墳群・定林寺(チョンニムサ)跡・羅城(ナソン)、全羅北道益山の王宮里(ワングンニ)遺跡・弥勒寺(ミルクサ)跡など計8カ所だ。委員会は「首都立地の選定を通じて百済の歴史が分かり、仏教寺刹を通じては来世観と宗教を、城郭と建築物の下部構造を通じて独特の建築技術を調べることができる」として「これは優れた百済文化と歴史の証拠」と評価した。

WHC諮問機構である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の韓国委員長をつとめているイ・ヘウン東国(トングク)大学地理教育学科教授は「百済には中国と韓国、日本へとつながる文化交流の証拠がある」として「都市の発達に関し卓越した空間構成を立証したのが登録理由の1つ」と説明した。

ソン・ジョンヨン忠北(チュンブク)大学考古美術史学科教授は「今まで百済は慶州(キョンジュ)に代表される新羅、中国との関係で注目された高句麗遺跡に比べてあまり関心を受けなかった」として「今回の登録でこれまで滅亡期の時の義慈(ウィジャ)王のイメージだけが残っていた百済史の興亡盛衰の全過程を大衆に見せることができるだろう」と説明した。

百済歴史遺跡区の世界遺産登録によって公州や扶余、益山などの観光産業が活気を帯びると現地の地方自治体は期待している。これらの地方自治体は「百済歴史遺跡区の全般的な観光管理戦略と遺産別の訪問客の管理計画を完成するように」とのWHCの勧告を忠実に履行する一方、観光プログラムを開発して観光客の誘致に集中する計画だ。忠清南道は13日、国内の主な報道機関を招いて安熙正(アン・ヒジョン)知事とともに百済歴史遺跡区を見回るファムツアー(FAM TOUR)を実施するなど国内外の広報に乗り出す予定だ。新しく世界遺産になった百済歴史遺跡区は中東呼吸器症候群(MERS)事態で停滞していた国内観光を活性化するために7~8月に前倒しして施行すると予想されている「観光週間」の主な訪問地としても関心が高まる展望だ。

今回の世界遺産登録によって文化財庁と忠清南道・全羅北道・公州市・扶余郡・益山市が業務協約を結び、昨年12月から推進中の「百済王都核心遺跡復元整備」事業もさらに弾みをつけることになった。これらの都市に残っている百済遺跡は、さまざまな地域に分散していたためにこれまで一貫性を持って総合整備事業を展開できなかったという指摘を受け入れた。これに伴い文化財庁と5つの地方自治体は、百済文化の中心地である百済王都の本来の姿を最大限に復元させて世界的な歴史都市にする計画だ。3月に文化財庁傘下に設置された「百済王都核心遺跡復元整備準備団」が復元・整備事業総合計画を樹立しており、その後推進団に切り替えて本格的な事業を展開する計画だ。