韓経:日本壱岐島の伝統酒焼酎…朝鮮に渡っていったぜいたく品だった

  • 2021年8月27日

朝鮮時代、今でいう最高級洋酒のような酒があった。米1キロから300ミリリットルしか取れない、非常にぜいたくで禁酒令を下さなければならないといわれたほどの酒、焼酎だ。当時の技術ではアルコール度数6度のマッコリ8~10本、アルコール度数12度の清酒4~5本はなければ40度を越える正統焼酎を作ることができなかった。一言でいえば誰もが飲めるような酒ではなかった。今と比較するなら最高級ウイスキー「バレンタイン30年」のような存在だった。

そのため焼酎は中でも特に貴重だった。それは朝鮮王朝実録だけ見ても分かる。重要な意味を込めて下賜する酒として使われた。あまりにぜいたくだったため禁酒令を下さなければならないという上訴もあった。

対馬領主に下賜した物品としても登場する。太宗(テジョン)の時から成宗(チョンジョン)の代まで約100年間、品目から外れたことがない。対馬から朝貢を受けて、その答礼に焼酎を与えた。

では朝鮮から焼酎の下賜された対馬では焼酎が発達したのだろうか。全くそうではない。焼酎の原材料である穀物を手に入れることができなかったためだ。対馬は9割が山岳地帯だ。米や麦の農作業が可能な土地がない。

それなら100年間下賜した朝鮮の焼酎はどこへ行ったのだろうか。対馬から50キロ離れた壱岐島で発見される。壱岐島は済州島(チェジュド)10分の1の大きさの小さく美しい島で、朝鮮通信使が日本本土に到着する前に立ち寄った場所だ。ここで発達した焼酎は麦焼酎だ。麦を栽培して収穫できる広い平野があるためだ。酒文化が発達するためには農業が発達しなければならないということを示している。日本の酒ソムリエの教科書では、壱岐島の焼酎技術が韓半島(朝鮮半島)を通じて入ってきたと公式に認めている。この技術は日本全域に広がることになる。

壱岐島には興味深い焼酎が一つある。重家酒造の「ちんぐ」という製品だ。発音そのまま、韓国語の「友」という意味だ。韓半島とあまりにも近いため韓国語の「チング(友)」が壱岐島の方言となり、これが焼酎の名前としてつけられた。対馬と壱岐島には韓国語から借用した単語が結構ある。「ぱっち」は「ズボン」を、「やんばん」は両班(ヤンバン)、すなわち人を意味する。

壱岐島の麦焼酎は日本全国的にも有名だ。世界貿易機関(WTO)が指定した地理的表示制と地域特産品と認められてもいる。500年前に韓国が伝えたが彼らの方式で高付加価値文化商品へと発展させていった。

われわれ韓国はどうなのか。タピオカと輸入アルコールで作る安い焼酎文化しかないではないか。自国の農産物で醸す伝統方式の焼酎は全体焼酎市場の1%未満にとどまる。だが、可能性はある。今後はわれわれの農産物で作ったわれわれの焼酎文化を作っていくことを応援したい。